おかれの日記

フィリピンとかアメリカとかの日記

入国審査

不本意な結果に終わったフィリピン留学。

 

しかし、天は私を見捨ててはいなかった。

うちにホームステイしていたアメリカ人が『こっちに遊びにおいでよ、毎日ご飯もあげるし散歩にも連れていってあげるよ

というスーパー厚待遇でアメリカに誘ってくれたのだった。

 

 

そして、数ヶ月馬車馬のように働きチケット代とお土産代を貯めてアメリカへ飛び立ったのだった。

 

みなさん、ESTAって知ってますか?

アメリカに旅行で90日以内の滞在ならVISAが無くてもESTAを申請(必須)するだけでアメリカ行きの飛行機には乗れます。

 

今回、私の滞在は85日、ほぼほぼ限界の滞在です。

 

(入国審査でなんか言われるやろうな……)とは思って居たのですが案の定入国審査で手間取りました。

『何しに来たの?』

私『観光です』

『どこに泊まるの?』

私『友達の家』

『男友達?女友達?』

私『男友達』

『ふーん……滞在予定日数は?』

私『85日』

85日!?

 

…………

 

違法に就労する気があると疑われたみたいです。

別室に連れてかれました。

 

『友達の名前は?電話番号は?そいつの写真は無いのか?』

と、矢継ぎ早に質問され、私の英語力の低さ&フィリピン行く前に携帯買い換えたから写真がほぼ無い、ということも加わり益々怪しい雰囲気に……

 

…………

『荷物何個預けた?チェックするから取ってきて。』

 

あ、世界まる見えで見たやつや、これ。

 

まじで、自分が体験することになろうとは……

 

まぁ、怪しいものは入れてなかったので荷物検査は大丈夫だったのですが、その後、所持金を聞かれ(多分、少なすぎるとアウトだった)ある程度の現金を持っている事を証明して、クレジットカードも使うからお金に困ることはないと訴えて

なんとか渋々スタンプ押して貰えました。

 

まじで、緊張した。

 

 
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無事に友達の実家に到着。

おしゃれ。笑

この画像を私の母に送ったら

私たちはマイクをウサギ小屋に住まわせて居た……

と、返信が来て笑った。

 

 

フィリピン留学2

TOEICを終えた私は焦っていた。

何故なら、座学ばかりしていたから全く話せないのである。

 

持ち前の救い様の無いレベルのシャイな性格がスピーキングの向上に余計に歯止めをかけていた。

授業を全てスピーキングに切り替えたが効果はあまりなくフラストレーションで時々泣きながらの日々を過ごしていた。

 

泣きっ面に蜂で、また風邪を引いた。

その時は1週間バファリンで戦ったがギブアップ。

副鼻腔炎になっていたと思う。

何を食べても味がしない。

 

ついに初病院に行くことになる。

半ば意識朦朧としながら待ちやっと自分の番になり診察室へ。

 

そこにはやたらギラギラした金持ちそうなフィリピン人が座っていた。

(だ、大丈夫かよ……この人…)と、思いつつ診察を受ける。

薬を処方してもらったが脳天を突き抜けるような苦味のある薬

なかなかレアな体験でした。

 

 

フィリピン留学

学校が始まった。

朝8時から四人の先生が2時間ずつ教えてくれる授業スタイルでした。

昼休憩が1時間あるので学校が終わるのは5時。

 

授業料が結構変わる&ローカルフードを体験しかったので今回は私は食事無しのコースで申込ました。

 

学校が始まって気づいた事は

8時間コースを取っている人は以外と少ないこと。

これは、終わった後だから冷静に考えれるんですが、1日8時間授業をとると復習する時間が十分に取りにくいです。

あと、空いてる時間に暇なら先生を捕まえたらコミュニケーションも勉強もできるので仲良くなりやすい。

 

以上の理由から自分で自主勉出来る人はフルで授業をとるのをお勧めしません。

 

次に気付いたことは

食事はつけた方が良い。ということ。

 

野菜が摂れない。

これも、暫くしてから気付いたのですがフィリピンの食文化って、ざっくり言うとフライドチキンと白米をコーラで流し込む

って感じなんです。

家庭料理はそんなに偏っては無いと思うのですが、外食は基本的に揚げ物にご飯に甘い飲み物が基本でした。

 

私自身、そんなに野菜は好きな方じゃないのですが野菜に飢えてました。

滞在先のホテルにはキッチンは無かったので余計に飢えてました。笑

 

もちろん、生野菜はスーパーで売っているのですが、野菜を洗う水の安全性が怪しかったので結局野菜はチャイニーズ系のレストランで野菜炒め食べたり、フルーツで気持ちを紛らわしていました。サプリメントは必須です。笑

 

………………

 

話は変わりレベルチェックテストの結果が授業始まって数日後に教えて貰えました。

550点

この点数、学がない高卒にしては上出来すぎる点数だったみたいです。

全然自信無かった割にそこそこの点数が取れたのはきっと、アメリカ人のホームステイでリスニング力が上がっていたからでしょう。

ありがとう!アメリカの人ー!!(空を仰いで)

 

 

フィリピンでは月1でTOEIC が開催されるので滞在中に受けることにしました。

最初のチャンスは留学に来て一週間か二週間目だったのでパス。

3ヶ月の滞在予定立ったので最後のチャンスで受けようと思ったのですが祝日か年末か、何かの原因で本来開催されるはずの日から一週間か延期され、そのテスト開催日が帰国の日の翌日。笑

 

私に選択肢は無かったのであった……

 

 

………………

 

授業が始まって2週間目

私は風邪を引いていた。

フィリピン初心者に良くあるらしい。

 

年中暑い常夏の国、風邪を引く要素がどこにあるんだ?

と、思う方も多いと思いますが大アリです。

まずは、空気。

排気ガスって何?レベル。

日本とか海外からのお下がりの車が黒煙を吐きながら町を駆け巡ってます。

東南アジアお馴染みのバイクの多さも大気汚染に一役買ってます。

 

次に意外なのが

冷房

お店とかレストランとかに行くと凍えるほど寒いときがあります。

凍えた後の外のムワッとした汚れた空気

体調を崩すには十分すぎる理由でしょう。

 

実際、私の場合は冷房でした。

フィリピンに室温を調整してくれるような優しいエアコンは存在しない。

 

冷やすorもっと冷やすの2択

 

フィリピン人の先生ジョークに『フィリピンには気候が2つあるわかるかい?』

私『何?』

『暑いと、超暑いだよ』

ってのがありましたがエアコンもそれと変わんない感じでした。

 

弱にしてたのにも関わらずそれでやられてしまいました。

 

最初の1週間は『don't be shy !』って言われ続けてましたが、2週間目は

『Are you ok??!』

と言われ続けるのでした。

 

……………………

 

 

そしてあっという間に時間は流れ、滞在2か月目の最初で最後のTOEICの日がやって来たのだった……

 

市内にある大規模な語学学校が会場でした。

 

日本と圧倒的に違うのは開始時間がしっかり決まってないということ。

沖縄のうちなータイムを超えるフィリピンタイム。

みんな揃ったらスタートというざっくりし過ぎるシステム。

結局試験会場で1時間は待った。

 

しかし、始まると2時間のテストはあっという間に終わりました。

私の会場は内側だったので大丈夫だったんですが、道路沿いの会場はリスニングテスト中に外で祭のパレードの練習をされたらしく1問か2問御愁傷様的な事になったらしい。

 

 

確かにその時期は年に一度の大きな祭の前だったので私のホテルでも朝5時からパレードの練習で起こされた思い出がある、自由すぎる…………

 

 

………………

 

 

2週間程度でTOEICの結果が届きました。

 

 

 

 

2ヶ月頑張った結果

550→740 そこそこ。笑

 

 

 

フィリピンへ

 

ホームステイをしていたM氏が夏に帰国した。

わが家の日本語の英才教育の影響か、きれいな標準語で書かれた教科書も意味を成さず関西弁を喋る怪しいアメリカ人になって帰っていった。

 

 

韓国での一件があったのをきっかけに私は語学留学を考えていた。

しかし、貧乏フリーターしていたのでいかんせん金欠。

出来ることならアメリカとかカナダとかオーストリアとか、ガチの英語圏で勉強したかったけど金銭的な問題でフィリピンに行くことにした。

 

皆さん留学は何に重きを置きますか?

スパルタの学校?自由な学校?

大規模な学校?小規模な学校?

安い授業料?おいしいご飯?

 

私の場合

トイレに紙が流せるか否か

でした。

 

文化の違いを受け入れることも学びや経験だとはわかってるんです、でも!でも!

まじで、要らんところ潔癖なんで無理だったんです。(´;ω;`)

 

 

 

何だかんだで学校も決まり10月から行ってきました。フィリピン。


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機内食はそこそこ美味しかった。

 

数時間のフライトで無事にセブ、マクタン空港に到着。

 

空港を一歩でた瞬間に未舗装の道路がお出迎え

語学学校の迎えの車で学校まで輸送される間車外でワイルドな日常風景に圧倒されるのであった……

 


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宿泊先のホテルに着いたらもう外は真っ暗。

 

ケチって二人部屋で申し込んでいたけどちょうど生徒の人数の関係か運良く暫く一人部屋でした。

 

翌日は朝早くからレベルチェックのテストがあるらしくその日は早めに寝ました。

(まぁ、両替してないからお金も無いし、右も左もわからん状態で外に行く勇気は無かった。)

 

 

…………

 

 

翌日、

朝からレベルチェックテストを受けました。

私が行った学校はTOEICに力を入れてるらしくレベルチェックテストはTOEIC 形式でした。

 

まぁ、さっぱりわからんよね。

いくらこの前までアメリカ人が家に居たとは言え、普段日本語でしゃべってたし。

 

結果は後日伝えてもらえるらしく、

己の英語力に軽い絶望を感じつつその日はそのままの低いテンションでオリエンテーションを受け終わり。

 

徒歩県内にスーパーがあるので早速スーパーへ、


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流石にフルーツ系は充実した品揃え。


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 なんか卑猥。

 

 

…………

フィリピン人は基本的にすごい明るくて楽天的でした。

それは働いてる時も例外ではなく……

 

スーパーから流れる流行りの音楽。

レジのスタッフは歌いながらレジ打ちをしてくれます。

むしろ熱唱しすぎてレジの手がおざなり。

 

男女関係なく、品出しをしている店員さんも歌ってました。

 

なかなかのカルチャーショックでした。

 

 

 

基本的にチキンなのでこの日は徒歩県内の移動のみで終了。

 

翌日から八時間のマンツーマンの授業が始まるのだった……

 

 

韓国へ行った話

 

ある日、すごいめんどくさい事が発覚した。

 

8月まで滞在す予定のM氏、しかし滞在可能な期間がこのままでは7月末までという事件。

何回も県庁所在地のある市(遠い)にそういう系の申請やら行ったのに、あれは無駄足だったのかよ畜生!!

 

 

お役所から提示された案は二つ

  1. その日までに帰る
  2. どっか外国行って滞在可能日数をリセットする、

という二択。

 

飛行機の日付変更時するお金があれば海外行けるらしく、巻き添えを食う形で私も一緒に旅行に行くことになったのだった……

そしてその旅行中に私が英語を勉強しようと、決意した出来事が起こる。

 

 

入国審査でイライラ

 

梅雨真っ只中、

飛行機のチケットは私が手配、止まる宿はM氏が手配する形で我らは韓国へ出発した。

 

実はそれが私の初海外旅行でした。

 

皆さん、入国カードって知っていますか??

自分の住所とか、韓国での泊まるとことかを書いて入国するときに提出する紙のことなんですが、

その旅行の時、M氏は泊まる所の住所を控えるのを忘れ(wi-fiが無いと確認できない)私たち二人は宿泊先欄の住所とを白紙で提出するはめに……

 

ドキドキしながら並ぶ初めての入国審査ゲート

『これってどこ??』

……はい、案の定住所のところ聞かれました。  

私『ソウル市内にあるホステルです……

(あー、もう、やっぱり突っ込まれたわー。きっとM氏も言われてるんやろなー)』

っと思い、ふと横を見ると

笑顔で手を振るM氏の姿が……!!

 

いやいやいやいや、頑張れちゃうねん、

ってか、何でお前あっさり通れとんねん!!!

 

 

私『ちょ、お姉さん!私の友達同じこと書いたのにあっさり通ってるんやけど……!!』

これを英語で言いたいのに言えない

 

それがスッゴい悔しくて、その時英語を勉強しようと固く心に誓った。笑

 

……

旅行自体は楽しめました、トルコアイスのおっちゃんにおちょくられたり、美味しいもの食べたり、観光地もボチボチ行って、カタツムリのクリーム買わされそうになったり

 

 

まぁ、この入国審査の一件で語学留学を考え始めるのでした。

ホストファミリーになるの巻

 

何だかんだで辞書アプリとか翻訳昨日を使い意志疎通をはかるM氏と私。

 

第一印象は(なんやねん、この無口のロン毛)だったものの週末に京都に行ったりご飯食べに行ったりで徐々に仲良くなっていった。

 

 

……

 

お米炊くよ!

ある日LINEでお米炊くよ宣言が来た。

寮には各部屋に炊飯器が備え付けられている。

M氏『ボタンが漢字だらけでどれを押したらいいんかわからへん……とりあえずそれっぽいボタン押して大分待ってるけどまだ炊けない……』

私『炊飯器の写真送ってよ』

 

…………

送られて来た写真の中には保温ボタンが煌々と輝く炊飯器の姿が。

M氏は一時間以上、生米を悪戯に温め続けていたのだった……

 

 

その後、正しいボタンを教えたけど炊き上がるまで待てなかったのか炊飯中にちょいちょい蓋明けて確認してたらしく最終的にお粥が炊き上がった…………

 

 

…………

 

 

 

あっという間に時は過ぎ3月、私もM氏も短い留学が終わろうとしていた。

 

M氏『出来ればもっと日本に居たいよ。』

私『ふーん、そっか。』

両者『…………』

 

 

 

その日の夜、実家にて

私『M氏がもっと日本に居たいって言ってたわー』

うちのオカン『じゃあ家に呼んだったらええやん、部屋空いてるし!』

 

私『へ??』

 

 

……ってな感じで何かノリで学校終わってから暫くM氏が家に滞在することになるのであった……

 

この滞在中がきっかけで後に韓国旅行に行くことになる……()

 

 

高卒だけど英語の勉強始めたよー。

 きっかけ

私の通っていた高校は地元でもアホで有名な高校でした。

 

高校っていうより動物園と言った方がしっくりくるレベル。

 

自転車通学だったのでちょうど通学路上にある某ファストフードで高校在籍中にアルバイトを始め、高卒を卒業してからもずーっと惰性でバイトを続けていました。

 

 

ある日、職場の仲良くしてる主婦さんから『うちの子供(中3)に英語教えてや』って言われ

(まあ、中学生の英語やしたかが知れてるやろ…)という甘い考えで引き受けたのが全ての始まりでした。

 

幸い、自分の高校のヤバさに自覚はあったので1日500円という半分ボランティア価格で夏休みのなんちゃって家庭教師を始めたのでした。

 

しかし、いざ教えてみると訳わからんのなんのって……

 

1日500円にしといて本当に良かった……

 

時間に余裕のあるフリーターというアドバンテージを活かしてなんやかんやで夏休みが終わる頃にはギリギリ教えられるレベルの学力を取り戻すことができたのでした。

 

その子は無事に高校に合格し、私の家庭教師は幕を閉じたのですが、当時の私は自分が語学留学に行くことになろうとは知る由も無かったのでした……

 

 

 

 

国内留学

家庭教師をすることによってギリギリ中学生くらいの英語力を身に付けた私。

 

また忘れるのは勿体無い。

どっか近場で英語勉強できひんかなー……っとネットで調べてたら……あった。

 

国内留学という何とも素敵な(留学よりは安く済みそうな)ものを発見。

 

ある程度の数レッスンを受けるならアメリカから日本語を勉強しに来てる留学生と3ヶ月くらい同じ寮の部屋で暮らせるという何とも素敵なプラン。

 

(これや!!これやで!!)

 

私はその場の勢いでバイトも辞めて申し込んでしまったのだった。

 

 

1月から私の国内留学は始まった。

ルームメイトは30歳のアメリカ人の女の子。(W氏)

 

私『こんにちは…、初めまして』

W『コンニチハ。』

 

両者『………………』

 

 

やべぇ、言葉の壁厚い……

 

あっちは片言の日本語、そしてこっちは片言以下の英語。

 

世間話すらできない

 

まず語彙が足りない。

あと、よく考えたら私人見知りするし、めっちゃ根暗や……

 

軽く絶望しつつも過ぎる日々。

 

基本的に留学生の授業は午前中、私の授業は午後やから喋る機会が少ない……

 

(ルームメイトはいつも宿題で忙しそうだし喋れる雰囲気じゃない。

思ってたんとちゃう……思ってたんとちゃう……)

 

しかし、ある日ヤツは現れたのだった……

 

 

 

M氏との出会い

 

ある日、ちょっと出掛けようと思って寮の階段を降りたらエントランス付近で寮の寮母さん(男性)とロン毛のアメリカ人に偶然出くわした。

 

寮母さん『おっ、良いところに!

彼ねー、日本人の会話友達が欲しいんだってー。……なってくれない?』

 

ロン毛『……』

 

私『(ルームメイトとなかなか喋る機会無いしなぁ……)

はい、いいですよ』

 

寮母さん『良かったー。じゃあ後は二人でごゆっくりー』(スリッパの音パタパター)

 

 

( ^ω^ )……

 

ロン毛について何も説明なしに名前も知らんロン毛と二人きりにされた……!!

 

 

 

ロン毛『…………』

 

私『ひ、昼ご飯食べた??』

 

ロン毛『……まだ……』

 

私『う、うどん食べに行く??』

 

…………

 

 

これがM氏との出会いであった。

 

うどん屋に行って下手くそにカレーうどんを食べるロン毛。

 

服にカレーを飛ばし髪の毛をカレーにディップするロン毛。

 

思った以上に楽い昼御飯になった。

 

 

でも、基本的にボソボソ喋るし感情の起伏はそんな無い感じの人だったので

(あぁ、アメリカ人にも根暗は居るんやなぁ……)というのがM氏に対する第一印象でした。